ここでは「トリがトリとしての尊厳を保ち、よりよく生きること」についてを考えます。わざわざトリのために努力なんてしたくない…なんていう人は、たくさんある「カワイイ(だけの)ペットサイト」へどうぞ。
Quality of life:生活の質
“人が人としての尊厳を保ち、よりよく生きること”
WHO(世界保健機構)は「Q.L.O」について、『個人が文化や価値観をもち、今置かれている生活環境のなかでの目標や、期待、基準また関心に関連する認識』と定義した。ただ生きているのではなく、目標を持って生命の質の高い生活を送れることなど含まれている。
コンパニオンバードにとってのQOL
“人が人としての尊厳を保ち、よりよく生きること”の人の部分をトリにしてみる。
『“トリがトリとしての尊厳を保ち、よりよく生きること”』
そのトリによって生活環境は随分違う。飼い主が違えば住んでいる環境が違うことは当然なことなのだ。では、何を基準に『よりよく生きること』と考えればいいのだろうか?
『よりよく生きること』と『好き勝手に自由に振る舞わせる』事は違う。飼い主さんの中で「この子が好き勝手に自由に食べて何がいけないの? よりよく生きている結果じゃないの。」と言う人がいる。
これは全くの間違いである。
子供の時に好きなモノを好きなだけ食べさせられた結果、肥満になり肝疾患を患うトリがとても多い。人間にたとえると生活習慣病にあたるだろう。生活習慣病になった時点で Quality of life:生活の質が高い、とは評価は出来ないから「好きなモノを好きなだけ食べさせる」のは間違いなのだ。
『トリがトリとしての尊厳を保ち』『よりよく生きる』であるから、人間に飼われている時点で既にトリとしての尊厳が保たれていないのだ。我々は、トリとしての生活を奪った責任として、その環境の中でトリの本来の尊厳に近づける努力をしなければならないのだ。
なぜ、コンパニオンバードのために努力が必要なのか
トリのために人間が努力するのは、馬鹿げている?
自然界から連れてきたという理由もあるが、それ以外に全ての動物のために人間が努力することは、当然のことである。それは、高次元の脳を持つ人間はどの動物よりも適応能力が高い。適応能力が高いものが相手に会わせることは当然なことであるからだ(脱げる方が一肌脱ぐと言うことだ)。
それを馬鹿げていると考える人がいても、排除はしないが「援助」が必要である。特に育児支援・援助だけではなく、心理的援助が必要な場合もある。
私は産業カウンセラーの認定も受けており、子供とお母さんのためのカウンセリング学会に所属している。子育てに於いて「親が変われば子供が変わる」というネーミングに嫌悪感を抱いているお母さん達もいた。また、子供を虐待する親が「子供が自分の言うことを聞かない」と話す事が多く見られた。
すなわち「子供のために、子供のわかるように話すべきではない。親の言っていることを子供がわかるようになって当然」という思いが強い人ほど虐待に走ってしまうのだ。それを指摘してしまうと更に虐待をしてしまうという悪循環である。
虐待には4つの定義がある。
- 身体的虐待
- 精神的虐待
- 性的虐待
- 育児放棄(ネグレクト)
幼児虐待する親は「可愛くて仕方がない。手放したくない。」と話す人がとても多い。
施設やシェルターに入れられた子供を奪い返しに来る親もいる。虐待をするくらいだから奪い返しに来ることはないと思われるだろうが、奪い返しに来るのだ。分離不安や見捨てられ不安が強く、愛着形成が養われず親になった場合は特に多い傾向がある。
分離不安が強う人は「子供は子供、親は親。みんな一人の人格のある個人。」という認識がもてないのだ。
ペットを飼われている方にもネグレクトをしている方が非常に多い。しかし、本人は可愛くて仕方がないのだ。説得をしても理解されないことが多い。最後には逆切れに終わるか、「私はそんな酷いことはしていない」と泣いて話にならない場合もある。
また、「このカワイイ子がいなくなると私は本当にひとりぼっち」と、自分が一番の可哀想な人になってしまい心を閉ざしてしまうのだ。
ネグレクトされている動物さんの命
この可哀想な人のために、ネグレクトされている動物さんの命はどうでも良いのか?
良くありません。その人がいくら可哀想な人であるからと言って、動物さんをネグレ クトして良い理由が見あたらないからだ。
人間の子供のネグレクトの定義
「毒になる親」スーザン・フォワード著/毎日新聞社・刊 より引用
- 親は子供の肉体的なニーズ(衣食住をはじめ、体の健康に必要としていること)に応えなくてはならない。
- 親は子供を、肉体的な危険や害から守らなくてはならない。
- 親は子供の精神的なニーズ(愛情や安心感、常に注目してやることなど、心の面で必要としていること)に応えなくてはならない。
- 子供を、心の面でも危険や害から守らなくてはならない。
- 親は子供に道徳観念と倫理観を教えなければならない。
例えば、子供を置き去りにしてパチンコに出かけてしまったり、おむつを何日間も取り替えなかったり、お風呂に入れなかったりすると、これらのことはネグレクトにあたるのだ。
ペットを飼っている人の中で「不潔な環境に動物さんを何日も放置して、カワイイ顔を見て喜んでいる」人がいたとする。これを人間に置き換えれば明らかにネグレクトで、犯罪行為に当たるのだ。
女の子を誘拐し監禁していた事件があった。
彼女は心的外傷を受け今でも苦しんでいると思う。動物さんには感情がないという研究者もいるが、感情がなければイヤなときに噛みついたりしないはずである。嬉しいときや悲しいときなどには身体一杯で感情表現をする。
日本の法律では動物さん達は「器物」扱いである。最近の動物愛護法改正にあたり「生命の大切さ」が追記されていた。喜ばしいことであるが、私の感としてはもう一息! と言うところである。
法律で取り締まることも大切であるが、心理的援助が必要な時期が迫ってきていると強く感じる。人間以外の動物とのつきあい方でその人の生育歴や性格などが何となく見えてくる。愛着形成が出来ていない人ほどネグレクトをしていることが多い。
動物さんを大切に出来ない人は「自分が変わる」なんていう発想はあまり持ち合わせていない傾向がある。すなわち「自分の不幸はみんな周りの責任である」と主体的な生き方が出来ていない人たちが目立つのだ。
なので、“トリのために人間が努力するのは馬鹿げている”と思う人には、虐待が含まれる可能性もあるので援助が必要なのだ。
愛鳥週間に誓う(追記・2006年愛鳥週間)
「自分がやられて嫌なことはしない。だから、インコちゃんにも嫌がることはしない。」と言う人がいる。こういって「管理」しない事は、良いのか・悪いのか。
管理しないのはダメダメダメ〜!なので悪いです(きっぱり)。罰として書き方ドリルに「インコラブ!ごめん」を千回かいて提出!ウソウソ
トリたちは人間に飼われている時点で、すでに嫌なことをされてます。本来ならば野生の姿が正しいのに、私たちはトリたちから自由を奪いました。そして品種改良までして「愛玩動物」としました。
自分がやられて嫌なことは相手にもしないという方針をお持ちなら、飼っている時点で嫌なことをしているという認識が薄いのでしょうね。本当にそういう思想なら「嫌なことをしない」=「飼わない」になります。
最低限の環境を作るのが人間の役割
トリがトリとして生きるための、最低限の環境を作るのが人間の役割です。
そのためにも管理は必要なのです。管理というとすごくマイナスなイメージがあります。しかし、ここで言っている管理とは「健康管理」「生活管理」などです。自然界と同じように生活が出来ないならば、管理は必要です。平均体重を知り最適な温度を知っておかなければ、トリさんが辛いのです。
私たちには、人間らしく生きる権利があります。トリたちにはその権利が無いのでしょ うか? “器物”だから無いのでしょうか??
「トリが嫌がることを私はしない!」と宣言し、管理せず、ケージに入れない放し飼い状態の方など、ぜひもう一度振り返って欲しいです。私たちはトリたちから自然界を奪いました。だから既に嫌なことをしていることを。ケージにいれて慣れさせてあげる事も飼い主としてのりっぱな管理です。
「私も病院に行くのはイヤだった。だからこの子にも可哀想な思いをさせたくない。」と都合のいいことを言う人がいます。子どもの時に病気をして治療が辛かった経験から、トリたちには可哀想なお思いをさせたくないのですよね。
それが間違っているのです!!
あなたが生きてきた中で「ステキなこと」や「楽しかった良い思い出」もあったはずです。それは、養育者が治療をしてくれて、あなたの命を保たせてくれたお陰です。イヤなのは治療であり、生きていることがイヤなわけではありませんよね。
最近この言葉が好きになりました。「トリは病気になってもウソ食べをする。」です。
どんなに辛くても生きようとしている! と、そう思いませんか。外敵から狙われるのを 防ぐ役目もあると思います。ヘトヘトになっていても外敵から身を守ろうとするのは「生きる力」すなわち「生きたい」という思いなんですよね。
そう言う気持ちを人間が「もういいよ頑張らないでも」と奪って良いのでしょうか?
野生の動物たちは常に一生懸命生きています。身体に負担がかからないうちに治療してあげてください。それがトリたちから自然の生活を奪った人間達の責任です。
都合良く「自然界なら病気になっても治癒力で回復するまで待って、それでも治らなかったら仕方がないよね…」と言う方もいます。そして「好きなようにさせてあげた」といいます。ご自分の都合を付けるときだけ「自然界」を持ち出すのは卑怯なのでは? と私は思います。
“カワイイだけのトリ”が好きな方がいてもいいです。その様な方々で同盟を組んで馴れ合いも良いと思います。理解はしますが、同意はできません。
チョッター教授:なにいってるの? ママちゃんのような頑固者は馴れ合い以前に入れて貰えないわよ。イヒヒ〜
母:ウウ…ごもっともで。
「直ぐに病院よ!」のひとことが言えない馴れ合いほど、バカバカしいものはありません。結局トリさんが不幸になります。良くないことを指摘できない・伝えられないコミュニティほど寂しいものはありません。表面上では仲が良くても本音が言えないのは窮屈です。もちろん窮屈には思わずそう言うのが好きな方もいらっしゃりますが…。
飼い主達の自己満足の犠牲になったトリさん達はどうなってしまうのでしょうか…チョンボリ… 「大バカヤロ〜」と言いたくなります ←言っても良い?
トリにも命があって、質の高い生活を送れるように訴え続けるつもりです。なので、これからも「トリたち質の高い生活を!」と主張し、せいぜい自分勝手に頑張ります!!
チョッター教授:3日坊主がよく言うわよ。いつまで続くのかしらねぇ?
母:…チョンボリ