訪問への逡巡
2011年11月初旬、東松島と南三陸に行って来ました。どちらの地域も東日本大震災で甚大な被害を受けた地域です。
2008年に旅行で気仙沼や東松島を訪れていたこともあり、当地の様子が非常に気になっておりました。
地震から半年以上が経ち、現地がどんな状況なのか自分の目で見たいと考え、奥松島を再度訪ねてみることにしました。もし時間が許せば、当時も行った気仙沼まで足を伸ばすことにしました。
ただ、本当に行って良いのか悩みました。復旧作業の妨げになるのではないか。カメラを持ってうろつくのは不謹慎ではないだろうか。そんな一抹の不安があったのです。
それでも「現地で観光客の呼び戻しに力を入れている」「せっかく再開したお店が観光客が来ないため再度閉めた」といった記事を読み、これは行かねばなるまいと決意した次第です。
ここではその時の様子をご報告します。
新幹線で一路、北へ
今日の仙台は明るい曇り。市内を抜け仙台東インターチェンジから三陸自動車道に入り、お昼ごはんを食べる「松島さかな市場」を目指します。三陸自動車道はやはり路面が波打つような場所もありましたが、それでもキッチリ整備されており、道中はとても快適でした。
ナビのお姉さんは松島海岸インターで降りろと指示します。でもマリンピア前の交差点を先頭に渋滞の表示が…。以前、その場所での激しい渋滞を反対車線から見ていたので、降りるインターを松島北に変更しました。写真は一般道に降りた所で出会ったトラックさん。「前進松島」のロゴが心強いです。
松島
JR東名駅付近
JR野蒜駅
JR仙石線205系M16編成
消防署前からJR仙石線の方を見ると、遠くに電車が止まっているのがわかります。あれが今回の目的地の一つでもあった「JR仙石線205系M16編成」です。この列車は地震の際にこの付近を走行中でした。緊急停止した後に津波が襲い、周囲一帯は波に飲まれましたが、この列車はギリギリ難を逃れたそうです。
反対側の先頭は「山ノ坊踏切」の手前に位置していました。警報機にはツタが絡まっています。
車輌は放置されているにしては、想像していたよりもずっと綺麗でした。適切に保守されているのでしょう。仙石線の205系は元々山手線や埼京線を走っていた車両だったようです。もしかしたら昔、この車両に乗ったことがあったかもしれません。
南三陸へ
本来なら、野蒜駅から南に進み奥松島の大浜海岸まで行こうと考えていました。前回、2008年の旅行で宿泊した思い出の場所だからです。しかし、当地までの道路状況が芳しく無いようで、不急の立ち入りは避けたほうが無難だと思われたため、今回は見送ることにしました。
既に日も西に傾いてきたので、後ろ髪ひかれる思いで今日の宿泊地、南三陸町へ車を走らせます。この続きは「2011年・南三陸」でまとめます。
補足
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野蒜駅を発車したJR仙石線の列車にまつわる話はこちらの記事が詳しいです。
運命の2時46分発 駅で交差した「生と死」 JR仙石線野蒜駅(キャッシュ) -
M16編成についてはその後、2011年12月8日に撤去されたとのことです。
最後の被災列車、クレーンで撤去 宮城・JR仙石線(キャッシュ)
最後の被災列車、クレーンで撤去 宮城・JR仙石線(動画) -
M16編成が営業運転を再開したとの記事がありました。泣けます。
“奇跡の列車”が運転を再開(Web魚拓)