2011年11月初旬、奥松島と南三陸に行って来ました。このページは南三陸を訪れた時のご報告で、「2011年・東松島」の続きになります。
南三陸ホテル観洋
本日お世話になる、南三陸ホテル観洋さんです。このホテル自体が津波の被害を受けたにもかかわらず、被災者の受け入れや復旧工事関係者やボランティア活動を支えてきたそうで、いわば地域の精神的な拠り所といったところでしょうか。こちらの記事にあるホテル観洋の女将さんの「物見遊山でもいいから来て欲しい」という言葉を読んだことが、被災地を訪問する後押しとなりました。実際に宿泊してみて、ホテルのすぐ外にある破壊的な状況を全く感じさせない、別世界のように保たれた館内のクオリティとスタッフの対応に感心させられました。どんな状況下でもホテルとしての使命を全うしようとする凄味を感じました。
南三陸町
ホテルが建っていた高台から、標高の低い町の中心部に向かって東浜街道を走ります。途中、営業を再開していた「さかなのみうら」さんでストラップを購入。坂を下りきると、大きく傾いた建物が次々に現れました。
橋を渡るといよいよ南三陸町の中心部に入ります。道路は綺麗に片付けられていますが、その両脇は土とガレキでした。ポツポツと大きめな建物が残っているのが見えてきます。南三陸警察署の建物も損壊していました。
車を停めて周囲を見渡します。志津川病院の西隣から北を見ています。青い空の下に広がる荒涼とした大地。ここでも静けさの中、復旧作業の重機とトラックだけが動いています。足元にはガレキに混じってカキなどの貝殻が散らばっていました。
志津川病院です。こちらでも多くの方が亡くなったそうです。これほどまでに破壊されてなお、執念で立ち続けているようにも見えます。
車の上にかかっているのはJR気仙沼線の高架だった部分でしょうか。この部分の前後は土台ごと無くなっていました。
町を歩いて
余りにも有名になってしまった、南三陸町の防災対策庁舎です。災害に備えて建てられたこの建物は、あの日津波に屋上まで飲み込まれてしまい、赤い骨組みだけが残りました。そしてその向こうには見渡すかぎりの荒野が広がります。この建物の前で、地元のボランティアらしき方が、訪れた団体さんを相手に色々なお話をされていました。
防災対策庁舎の周囲を歩くと、ここに人々の営みがったことを示す多くの品が目に入ります。写真の計算機は電源が入りませんでした。この記事をはじめ、この地で起きた悲しい出来事については多くの報道がなされています。
庁舎には多くの人が次々と車で訪れます。中にはマイクロバスで来る方たちもいました。ただ、ほとんどの方は写真を撮るとすぐに車で去ってしまい、気づくと周囲を見てまわっていたのは我々と外国人の撮影クルーらしき方たちだけでした。
昨日の野蒜駅と同じく、悲しいほど美しい空が広がっています。無言でかつて人々が暮らしていた町を歩いて行くと、ピンク色のノボリがはためくプレハブがありました。見渡すかぎり荒野となったこの町で、力強く営業を続けている「ちばのり店」さんでした。
こちらのお店についてはこの記事を読んで、ぜひ寄りたいと考えていました。さっそくお土産用に「さらっとしおのり」を買い込みます。海苔なのでたくさん買っても重くないのが素晴らしい。この海苔、後日自宅で食べましたがとんでもなくに美味しいです。電話で注文できるようですので、みなさんも買うように。
どこかでお供えの花を購入できないかと「ちばのり店」さんに伺ったところ、少し離れたところで同じようにプレハブにて営業しているフルーツ屋さんにあると教えていただけました。さっそくフルーツ屋さんに向かいます。あの小さい建物がそうですね。
たくさんのフルーツと共に、花も売られていました。これで失礼ながら手ぶらで来た我々も献花ができます。有難い事です。それにしても小さいお店なのに予想以上の種類が売られていました。ここにも力強い風景がありました。
JR志津川駅
車で少し移動し、JR志津川駅に来てみました。ここが駅前広場です。高架を支える土台や強固な構造以外は流されてしまったようです。広場周囲は綺麗に片付けられ、復興資材が積まれていました。こちらのブログ記事を見ると、被災前の志津川駅の様子が良くわかります。
ホームを歩いてみます。町を歩いていた時より風を強く感じます。線路は全く残っていませんでした。3月13日の写真を見ると線路は流されていないようですので、撤去されたものと思われます。
南三陸町を襲った津波の映像を見ると、この気仙沼線の土台部分がまるで土手のように津波を阻み、その進行を僅かでですが遅らせる役割を果たしたかのようにも思えます。その僅かな時間で助かった方もいたかもしれません。ずっとこの場所に留まりたかったのですが、帰るべき時間が迫って来ました。南三陸町の人々が利用したこの駅に再び列車がやってくる日を思い浮かべつつ階段を降ります。
帰途へ
線路は赤く錆びています。ホームからは建てられたばかりの仮設住宅と思わしき建物も見えました。
三陸自動車道を経て仙台まで一気に戻ります。レンタカーを返却し、仙台駅に入ると何やらコンサートイベントが行われていました。ここまで来ると、風の音だけが聞こえていた南三陸町に先ほどまでいたのが不思議な感じです。
定刻通り入線してくる「はやて」。これに乗れば我が家の近くまで連れていってもらえる──“鉄路で結ばれている”という感覚が精神にもたらす安定感は非常に大きなものがあると思います。やはり現在運休中の各線の早い復旧が望まれます。
旅を終えて
当初は時間があれば気仙沼まで行きたいと目論んでいましたが、やはり時間が足りませんでした。自宅でハナ太郎が留守番をしているので、一泊二日が限界です。
それでも有意義な旅となりました。自分の目で見ることができて良かったです。今回訪ねた場所も、今回行け無けなかった気仙沼も、そしてまだ見ぬ他の土地にも、又の機会に足を運びたいです。
今回の旅では400枚ほど写真を撮りましたが、後から見返すと全く足りません。あれもこれも、撮っておけばよかったというものばかりです。
補足
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南三陸町の防災対策庁舎が津波に襲われた時の状況は南三陸町のページで確認できます。
南三陸町役場防災対策庁舎屋上から撮影した津波の状況写真 -
「ちばのり店」さんの「さらっとしおのり」はこちらでも購入できるようです。
南三陸 千葉のりONLINE店